ヨセフの再会
The reunion of Joseph
 

ホン・ソンピル (洪 性弼)
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「ヨセフの再会」
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第二章 葛藤 第8

シメオン :うちらの家系に利己的な人間たちはアブラハムだけじゃなかろう。そもそも最初の人間だったアダムからしてそうだったんだ。(兄弟たちを見ながら)神がアダムとエバを創ってエデンに置かれたとき、食うなといった、その…何だ…善悪の知識の木の実とかなんかを食ってしまったから俺たちが今もこんなに苦労してんだろう?あの時、あんなことをしなかったら、今の俺たちみたいに腹を減らすこともなく、何の心配事もないエデンでラクして生きて行けたのによ。

レビ :ヘビだか何だかに騙されたんでしょ?

シメオン :どんだけダマやれやすいんだって話だろ?それもまた情けない話だ。エバは、その実を食べると神のようになれるって聞いてダマされたっていうじゃないか。利己的?それも神のようになれるだ?だからって、それをペロッと食っちゃうかね。自分が神のようになってどうするつもりだ?今も昔も女っていうのはいつも同じだ。女の言うことがどれだけ非現実的で愚かなことか。

ユダ :単純にエバだけ責めることはできません。アダムには、少なくとも二つの誤りがありました。第一は、アダムは神からその実を食べてはならないという、食べれば必ず死んでしまうとう御言葉を受けました。ですが、彼はその御言葉をエバに正しく伝えなかったのではないかと思われます。だから、ヘビによって誘惑を受けたとき、「その実を食べると必ず死ぬ」ではなく、「死ぬかもしれない」と理解していたのです。もう少し正しく御言葉がエバに伝えられていたのなら、あるいは人間が堕落せずに済んだかもしれません。そして第二の誤りは、エバが神の御言葉に背くとき、アダムはこれを止めませんでした。神は確かにエバをアダムの管理下に置きましたが、アダムはその責任を全うせず、むしろエバが転ぶとき一緒に転んでしまうという失態を犯したのです。このようなアダムにどうして非がないと言えるでしょうか。そしてまた、それほど過ちがあるにもかかわらず二人を滅ぼさなかったのは神の恵みだったと受けとらなければなりません。人間が創造された当初は何も身につけていなかったにもかかわらず自分たちが裸だったということに気が付かなかったといわれますが、これは人間が無知だったからではないはずです。いくら自分が何も持っていなくても、神の保護を受けているのなら何の恐れもないでしょう。しかし、神の命令に背き、神の保護膜が取り払われた状態になって、初めて自らが裸だったと気づいたのです。彼らにとって自分を守るためにできることといえば、イチジクの葉を編んで、できそこないの服を作ることぐらいです。その時、神はどうされましたか。神は皮の衣を二人に与えられました。皮の衣とは血を流す犠牲をあらわします。犠牲がなければ得られない、犠牲の結果として得られるものが皮だからです。人間に対する神様の恵みは今も与えられています。この世がひどい飢饉に見舞われているにもかかわらず、それでも私たちを見捨てずにエジプトまでの道を開いて下さったではありませんか。

レビ :それはどうかな。弟、お前の言っていることが間違っているとまでは言わないが、少なくとも今は的を射てると前では言い難いね。生きる道が開けたのか殺される道が開けたのか、わからんだろう。あの宰相がオレらを殺そうと躍起になっているじゃねえか。

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