第三章 苦悩 第2話
(正面を向く。観客に語り掛ける)
ここに集まっておる、みなさん。今日は一つ、この老いぼれの愚痴でも聞いてくだされ。まあ、それほど時間は取らせません。
ああ、私が何の過ちを犯したというのでしょう。神はなぜ、このような苦難と試練とをお与えになるのでしょうか。祖父アブラハムには「約束の神」、「備えられる神」であられました。父イサクには「そそがれる神」、「与えられる神」でありました。じゃが、どうしてこのヤコブにだけは「薄情な神」なのか、「奪われる神」なのか分かりません。
父イサクが我々兄弟を得たのは六十の時でした。まあ、老年でしたが、その父アブラハムがイサクを得たのが百歳だったことを考えると四十年も早かった言えるでしょう。
私が生まれる前の話を母リベカから聞いたことがあります。双子の兄エサウとともに胎内にいたときのこと、私たちは母のおなかの中で昼夜を問わず争ったと言います。苦しむ母を見かねて父イサクがお祈りをささげると、神は面白いことを言ったそうですな。リベカのおなかの中には二つの国民がいる、とおっしゃったそうです。二つの国民、二つの国民…。ハハハ。二つの国民ですと!
神という方は元々、大げさにおっしゃることを得意とされているのか、あるいは、私どもの家柄なのかは知れませんが、何かにつけ大げさにいう癖があるようで、私にはどうも、それが気に入りません。
私が十五の時に亡くなった祖父アブラハムも、やれ民族だ、やれ子孫だ、という言葉をよく口にしとりました。神はアブラハムの子孫を夜空の星のように、海辺の砂のように、大地の塵のように増やしてやるとおっしゃったとか。これと同じ話を父イサクも神から聞いたことがあったそうです。
しかしねえ、ただ一つ、確かなのは、祖父アブラハムは百七十五年の人生の中でイシュマエルとイサクを得ただけであり、十年前に百八十歳で亡くなった父イサクは私とエサウを得ただけだということなんです。
夜空の星?海辺の砂?なるほどね。ふん!
私の兄弟が生まれた日、私より間一髪の差で先に生まれたエサウは、その時からすでに肌が赤かったとか。それに毛深かったということから、名を「エサウ」と付け、私が生まれてくるときには、先に出て来たエサウの、足のこの、(自分のかかとの部分を指す。片足で立って指しているので不安定)かかとの部分をつかんで出て来たとして「ヤコブ」という名になったと聞きました。
私がなぜ、かかとをつかんだのか、母の体から出てくるときに何があったのかまでは知る由もありません。ただ、今も時々夢を見ます。とても焦っている夢です。おなかの中での長い争いは、まさしくその瞬間のためのものだったようです。私は暗闇の中から一筋の光に向かって、もがき苦しんでいます。そして、どこからか、いいえ、私の胸の奥の方から大きな声が聞こえてきます。
たたずんではならぬ!とどまってはならぬ!腕を伸ばせ!その手でつかめ!
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