第三章 苦悩 第23話
ラケルを失った悲しみを何に例えられましょうか。ですが、こんな愛らしいベニヤミンを得られたことで、ラケルを失った悲しみから、少しずつですが、立ち直ることができました。もう残ったのはヨセフとベニヤミンしかいません。この歳になって子を得られるとは思ってもみませんでした。ヨセフとベニヤミンは私にとって今やラケルのような存在です。ラケルに勝るとも劣らない貴重な存在なのです。ヨセフとベニヤミンを見ると、それはラケルを見ることであり、ヨセフとベニヤミンが笑うと、それはラケルが笑うことであり、ヨセフとベニヤミンが話すとラケルが話すことであり、ヨセフとベニヤミンが食べるとラケルが食べているように見えました。ヨセフとベニヤミンは、私の喜びであり、希望そのものでありました。このようは険しい人生を送ってきた私にとって、一握りの望みでした。
なのに、それなのに、ヨセフさえ!ヨセフさえ!
ああ、神よ!アブラハムの神、イサクの神は、こうはしませんでした。与える神、満たしてくださる神、豊かにされる神、慈悲深き神でした。だったら、その次の、ヤコブの神でも、そのようでなくてはならんでしょう。ヤコブの神は何でしたか。ヤコブの神は奪っていく神です!残酷な神です!あざ笑う神様です!
私は努力しました。アブラハムより、イサクより、もっとよくなるために努力してきました。彼らはじっと待つだけだったかも知れないが、私は自分の力で努力すれば、さらによくなると信じていました。
エサウに会う前、ヤボク川を渡る前に、家畜たちをまず船で送り、夜には妻たちと子供たちを渡らせた後、私一人残ってしばらく人生を振り返りました。
たたずんではならぬ!とどまってはならぬ!腕を伸ばせ!その手でつかめ!
私は今まで必死になって生きて来ました。
死に物狂いで生きて来ました。
しかし、しかしね…。
いろいろ考えてみたんです。
何のために必死になって生きて来たのか。
今まで私は何のために生きて来たのか…ってね。
美しい妻?もちろんラケルは美しい女性だ。ラケルを得るために七年、いや、十四年をそのひどい伯父ラバンのもとで働きづめでした。そして、愛するヨセフも得ることができたのです。もちろんレアやシルバ、ビルハによって得られた子たちが大事ではないというのではありません。断じてそのようなことはない。
それでもねえ。どうしたもんでしょうねえ。目を閉じればレアよりも、シルバやビルハよりも、ラケルが先に浮かぶんですよ。
息子のルベンやシメオンやレビやユダや…あと、えっと、誰でしたっけ…(照れ笑い)まあ、とにかく、あいつらよりもヨセフやベニヤミンが先に思い浮かんでくるんですよ。ハハハ(苦笑い)
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