練習問題『 揺らぐ人間の時間感覚 』

【問題】次の文章を読んで、後の問いに答えよ。

　急速な情報化が進む社会の中に、不思議な浮(a)ユウ感や落ち着かない気分が広がっているといわれる。背景には(1)時間と人間の関係の微妙な変化があるのではないか。そう疑う人が多くなっている。
　「現代人は深刻な知覚の変容に直面している」。哲学者のデリダは言い残した。日常的に触れるメディアの中では(b)フク製化された過去の時間と現在が混在している。そのために人間の時間感覚は大きく揺らいでいるのだという。
　米国の情報学者ウィリアム・J・ミッチェル教授は、電子的な情報ネットワークの拡大によって人々の時間観が一変したと見る。
　時間は流れるように連続していると思われてきたが、デジタル時代の時間は不連続 だという。古来の時間の概念は「ボロボロになり始めた」と教授は強調する（『サイボーグ化する私とネットワーク化する世界』NTT出版）。
　何年か前から、世界の思想家にインタビューすると、時間の形が変わったようだと言う人が多い。
　「時間が奥行きを失って平面化した」（フランスの歴史家アラン・コルバン氏）
　「時代の大きな転換は時空間の変化に現れるはずだ」（米国の社会学者イマニュエル・ウォーラーステイン氏）
　本当に時間は形や姿が変わるものなのだろうか。(2)時間の変化の先には何が待っているのだろうか。
　「古くから地球上には多様な時間が存在した。時間のとらえ方、考え方は時代や文明によって異なるものだ」。オリエント古代思想の研究で知られる比較文明学者の岡田明憲氏 は指摘する。
　自然の四季や月の満ち欠けのように時が繰り返す円環的な時間は古い起源をもつ。古代インドでは永遠に(c)セイ止する時や空白の時間が重視された。点として時間をイメージする砂漠の民もいるという。
　「多くの文明では時間は循環すると考えられてきた。時間がどこまでも直線的に進むという近代文明の時間観は、むしろ例外的なものだ」
　現代人の時間意識が揺らいでいるのは、我々が常識と思っている直線時間の考え方自体に問題があるからではないかとも岡田氏は指摘する。
　「未来に向かって一直線に進む時間意識のために、現代人は先への距離や時間を少しでも縮めようとする［　Ａ　］にとらわれてきた」
　時熟という言葉がある。満ちていくような時間の成熟とともに生きるのが人間のあるべき姿だとも言われる。
　現実には現代社会は時熟からは遠ざかる(3)ばかりだ。その理由は直線的な時間観は常に前に進むことに価値を置いてしまうからだという。
　「古くから人間は時間は恐ろしいものだとして畏敬（いけい）の念をもってきた。ところが近代文明は時間も人間が自由に管理できるはずだと考え、技術で(4)時間を速めようとした。その変化の速度に身体が追いつけないために、時間が揺らいでしまったのではないか」
　時間の秩序が失われるとともに、多くの文明は崩壊に向かったという。今回の時間の変動も、何か大きな変化の前触れなのだろうか。
　「歴史の大きな節目には人々の時間意識も変わる」と歴史学者の成田龍一氏（日本女子大教授）は語る。
　日本人は100年あまり前にも大きな時間意識の変化を体験した。明治の新政府 は新しい時間も西欧から導入。地域ごとにもバラバラだった時が、均一で直線的な近代時間に統一された。
　近代時間に従うことは学校や公共の場で強制されたが、新しい時間のリズムに人々の身体感覚がなじむのには半世紀近くかかったという。
　明治期との大きな違いは、「いま起きている変動は、制度は変わらないのに人々の身体感覚が時間とのずれを感じ始めている点にある」と成田氏は指摘する。
　「時間の個人化が進んだために、時間を共有することで成り立っていた国や社会のまとまりも崩れつつある」と見る成田氏 は「しかし必ずしも近代時間までが崩れたわけではない」ともいう。グローバル化で世界共通の時間はより強(d)コになっているからだ。
　「むしろ問題は、新しい時間の秩序を誰が管理しているのか。その姿が見えなくなっていることではないか」
　時間を自由にはできないことを知って、人間が再び時間の力に畏敬の念を抱く時が近づいているのか。

『朝日新聞』2006年5月23日付
文化「時熟　揺らぐ人間の時間感覚」より

【問１】下線部(a)「浮ユウ感」と同じ漢字を含むものはどれですか。
　1．病気をユウ発する。
　　（　　　　　）
　2．ユウ興費に当てる。
　　（　　　　　）
　3．時間に余ユウがある。
　　（　　　　　）
　4．事態をユウ慮する。
　　（　　　　　）

【問２】下線部(b)「フク製化」と同じ漢字を含むものはどれですか。
　1．絵画がフク元される。
　　（　　　　　）
　2．ボートが転プクする。
　　（　　　　　）
　3．錠剤をフク用する。
　　（　　　　　）
　4．原本をフク写する。
　　（　　　　　）

【問３】下線部(c)「セイ止」と同じ漢字を含むものはどれですか。
　1．論文をセイ読する。
　　（　　　　　）
　2．空気をセイ浄する。
　　（　　　　　）
　3．セイ寂が広がる。
　　（　　　　　）
　4．虚セイを張る。
　　（　　　　　）

【問４】下線部(d)「強コ」と同じ漢字を含むものはどれですか。
　1．名前を連コする。
　　（　　　　　）
　2．話をコ張する。
　　（　　　　　）
　3．出馬要請をコ辞する。
　　（　　　　　）
　4．縁コで採用される。
　　（　　　　　）

【問５】下線部(1)「時間と人間の関係の微妙な変化」の説明として最も適当なものはどれですか。
　1．何年か前から、時間の形が変わったようだと、世界の思想家たちが声をそろえて主張し始めたということ。
　2．ゆっくりと満ちていくような時間の流れとともに生きていくことによって、人間は徐々に変容を遂げながら成熟していくということ。
　3．近代社会において常識と考えられてきた管理的で直線的な時間観に対して、人間自身が明確に反抗的な意識を持つようになったということ。
　4．古来連続するものとして人間に認識されてきた時間が、情報化社会の電子的な情報ネットワークの拡大によって不連続なものになってしまったということ。

【問６】下線部(2)「時間の変化の先には何が待っているのだろうか」に対する筆者の推測として最も適当なものはどれですか。
　1．古代文明社会への逆行
　2．古代文明社会への畏敬
　3．近代文明社会の崩壊
　4．近代文明社会の成熟

【問７】空欄［　Ａ　］に入る語として最も適当なものはどれですか。
　1．相乗効果
　2．強迫観念
　3．利己主義
　4．懐古趣味

【問８】下線部(3)「現代社会は時熟からは遠ざかるばかり」と同じ用法の「ばかり」を含むものはどれですか。
　1．学校から今帰ったばかりだ。
　2．今にも泣き出さんばかりの顔だ。
　3．千円ばかり貸してくれないか。
　4．弟は、勉強しないで遊んでばかりいる。

【問９】下線部(4)「時間を速めようとした」の理由として最も適当なものはどれですか。
　1．人間は古くから時間を恐ろしいものととらえており、なんとかして時間を人間の管理下に置きたいと願い続けてきたから。
　2．技術を使って時間を速めることができれば、現代人の抱えている時間感覚の揺れが収まると考えたから。
　3．時間を速めることによって、人間もより速く成熟することができ、それこそが現代人のあるべき姿だと考えたから。
　4．現代人は先への時間を少しでも縮めようとしており、近代文明が生み出した技術を使えばそれが可能だと考えたから。

【問10】本文の内容に合うものはどれですか。
　1．米国の社会学者イマニュエル・ウォーラーステイン氏と歴史学者の成田龍一氏の言説は一見同じような主張に見えるが、歴史 と人間という観点から考えると、前者には人間の視点が欠如しているといえる。
　2．古来、多くの文明では時間は循環するものととらえられてきたが、近代文明における直線的な時間観は例外 ともいえるものであり、現代人の抱える時間意識の揺れの原因にもなっている。
　3．日本では、それまでバラバラだった時が100年あまり前に均一な近代時間に統一されたが、当時の人々も現代人が感じているのと同じ時間感覚の揺れを感じ、その揺れの解消までには半世紀近くかかった。
　4．電子的な情報ネットワークの拡大によって時間の個人化が進むにつれ、時間を共有することで成り立 っていた国や社会のまとまりが崩れつつある現在、時間を再び循環するものととらえ直す必要がある。